香りが祈りになるとき――アールグレイとラプサンスーチョンのあいだで
私にとって、お茶は「嗜好品」にとどまりません。
ときに、心をととのえるための静かな行為であり、祈りに近いもの。
そんな感覚を研ぎ澄ましてくれる2つのお茶をご紹介します。
アールグレイとラプサンスーチョン。
まったく性格の異なるお茶ですが、2つの茶葉を混ぜてカップの中に注ぐとき、そこには不思議な静けさが生まれます。
明るい香りと、暗い香り

アールグレイの香りは、きらきらとした光を思わせてくれます。
ベルガモットの柑橘の気配は、朝や、始まりや、外へ向かう意識を連れてきます。
たとえて言うなら、スリランカの海岸沿いの景色。
太陽のきらめきが波の水面に反射し、輝きが満ちる明るい世界。

一方、ラプサンスーチョンのイメージは、火と闇の香り。
――焚き火、森、夜、沈黙。
日が沈んでいる時間に、感覚が研ぎ澄まされて、内側へと降りていく気配を呼び起こします。
一人、静かに過ごすサイレントな世界。
私たちはふだん、2つの価値観のうち、どちらかを選ぼうとしがちです。
「明るさ」か「暗さ」か。
「前向き」か「内省」か。
けれど本当は、その両方を抱えながら生きている。
混ざり合うことで、生まれる静けさ

アールグレイとラプサンスーチョンを1:1で合わせると、どちらの香りも消えません。
明るさは明るさのまま、暗さは暗さのまま。
ただ、対立しなくなるのです。
ベルガモットの香りは、スモーキーさを否定せず、ラプサンスーチョンの火の香りは、柑橘の軽やかさを拒みません。それは、自分の中の矛盾を、そのまま置いておくことに似ています。
祈りとは、ありのままを受け入れること

仏教の祈り、とくに念仏の世界では、「ありのままの自分をみつめる」ことを行います。
足りなさも、迷いも、光も影も、そのまま抱えて、ただ仏の名を呼ぶ。
変えない。
裁かない。
整えすぎない。
アールグレイとラプサンスーチョンのブレンドは、そんな祈りの姿勢と、どこか重なります。香りを無理に調和させようとしないからこそ、自然と、心が静まっていく。
カップの中の、もう一つの祈り(瞑想)

忙しさの中で、何かを成し遂げなくてもいい時間。
正解を出さなくてもいい時間。
湯気の立つカップを前にして、香りが立ち上がり、消えていくのを感じる。
それは、念仏でも坐禅でもなく、儀式でもないけれど、確かに祈りに似た「瞑想」のような時間」です。
香りの向こうにあるもの
店主として、Amrita Zen Life を通じて届けたいのは、お茶そのものよりも、
その先にひらく心の静けさなのかもしれません。
アールグレイとラプサンスーチョン。
異なるものが、無理に一つにならず、ただ隣り合う。
その在り方を、今日の一杯から感じていただけたら嬉しいです。
